経営者が、家族トラブルを避けたく、遺言書作成の必要性を判断したいなら、遺言書は資産家だけでなく想いを残したい人にも有効である

遺言書は、資産家だけのものではありません。会社を持つ社長なら、財産が現金より「株式」に偏っているケースが多い。だからこそ遺言書がいる。理由はシンプルです。会社の株は分けにくく、分けた瞬間に経営が止まるから。対象は、後継者が決まっている社長、家族が複数いる社長、そして「うちは仲がいいから大丈夫」と思っている社長。実はこの3番目が一番危ない。判断基準は、財産の多寡ではなく「想いを残したいかどうか」です。

正直なところ、遺言書という言葉に身構える社長は多い。死を前提にした書類だと感じるからでしょう。でも実際は逆です。遺言書は、残された家族と会社が困らないための「引き継ぎ書」。経営でいう業務マニュアルに近い。元気なうちに、自分の頭が整理されているうちに書いておく。それだけのことです。この記事では、遺言書を作るべきかどうかで迷っている社長が、判断の物差しを持てるように、現場で見てきたケースを交えて整理していきます。

先に整理しておきたい3つの視点

  • 遺言書は資産家だけでなく、株を持つ社長にこそ必要。財産の多さではなく「分けにくさ」で判断する。
  • 「うちは仲がいい」家族ほど、分け方を言葉にしてこなかったリスクが眠っている。
  • 会社の行き先を先に決め、株の集中と遺留分の配慮をセットで設計するのが順番。

この3つを頭に置いておくと、以降の話が腹落ちしやすくなります。逆に言えば、ここが曖昧なまま遺言書を急いで書くと、かえって火種を残すことになる。順番が大事なんです。

なぜ「うちは大丈夫」と思う社長ほど備えが薄いのか

正直なところ、相談に来る社長の多くが「うちの家族は揉めない」と口にします。ところが、いざ相続が始まると話は変わる。仲の良さと、相続の整理は別の話なんです。

仲が良い家族ほど、言葉にしてこなかった

ある製造業の社長は、長男に継がせると決めていました。でも紙には残していない。「言わなくても分かるだろう」と。急逝したあと、次男が「自分にも株の権利がある」と言い出しました。仲は良かったんです。ただ、誰も「分け方」を口にしてこなかっただけ。

「親父が元気なうちに聞いておけばよかった」。次男がそうこぼしたとき、長男は黙って下を向いていました。揉めたかったわけじゃない。整理されていなかっただけ。

似たケースは珍しくありません。別の社長の家では、娘3人がそれぞれの配偶者を連れて話し合いに来ました。すると、本人たちは穏やかなのに、配偶者の方が「もらえるものはもらっておくべき」と口を出す。当人同士なら一言で済んだ話が、外野が増えるほどこじれていく。相続が「家族の問題」から「世帯の問題」に変わる瞬間です。これも、生前に分け方を決めていれば防げた。

株式は「分けると会社が止まる」財産

中小企業の財産は、自宅と会社の株でほぼ占められることが珍しくありません。現金なら分けられます。でも株は違う。分散すると重要な決議が通らず、経営判断が止まる。

実際、自社株が3人に分かれた会社では、設備投資の決議で意見が割れ、半年間なにも決められませんでした。これは「揉めた」というより「決められなくなった」状態です。株主総会の特別決議には3分の2以上の賛成がいる。つまり1人が3分の1超を握れば、後継者は重要な意思決定を一人では通せなくなる。経営の手綱を、相続が原因で他人に握られてしまうわけです。

よくあるのが、「とりあえず法定割合で平等に分ければ公平だろう」という発想。気持ちは分かります。でも株に関しては、平等に分けることが一番危ない。経営は多数決の世界だからです。公平と経営の安定は、ときに正反対を向く。ここを混同しないことが、社長の相続では決定的に重要になります。

想いは、書いておかないと残らない

中小企業庁も、承継準備の遅れが大きな壁だと繰り返し指摘しています。遅れる理由は難しさではなく「まだ早い」という感覚。けれど元気なうちにしか書けないのが遺言書です。

実は、ここに一番の落とし穴があります。判断能力が衰えてから、あるいは病気が分かってから慌てて書こうとすると、今度は「本当に本人の意思か」と疑われる。せっかく書いた遺言が、有効性をめぐって争われるのです。元気で、誰の目から見ても判断がしっかりしている時期にこそ、書く意味がある。「まだ早い」と感じる今が、実はちょうどいいタイミング。これは多くの社長が後から気づくことです。

遺言書を作る前に、社長が整理しておきたいこと

遺言書は書けばいい、というものではありません。順番を間違えると、かえって火種になる。ここでは、書く前に必ず通っておきたい3つの整理を順に見ていきます。

まず「誰に何を」より「会社をどうするか」

ケースによりますが、最初に決めるべきは財産の分け方ではなく、会社の行き先です。継がせるのか、売るのか、たたむのか。ここが曖昧なまま分配だけ決めると、後継者が株を集められず苦労します。

会社の方向が決まれば、株を後継者に集中させる遺言が書ける。残る家族には現金や別の資産で配慮する。この設計が先です。

たとえば、後継者を長男に決めた建設業の社長は、自社株を全て長男に、自宅と預貯金を妻に、生命保険金を次男に、という形で整理しました。金額の見た目だけ見れば長男が多い。でも長男は会社の借入金の連帯保証も引き継ぐ。背負うものとセットで見れば、決して不公平ではない。こうした「数字の裏側」まで家族に説明できる状態を作っておく。それが、後の納得感を大きく左右します。逆に、会社の行き先を決めないまま「株は3人で仲良く」と書いた遺言は、ほぼ確実にもめる。経験上、これは断言できます。

自筆より、形式を整えておく

自筆の遺言は手軽ですが、形式不備で無効になる例が後を絶ちません。日付の書き方ひとつで揉めることもある。「令和7年1月吉日」と書いて、日付が特定できず無効になった例すらあります。公正証書遺言なら公証人が関与し、形式の不安はほぼ消えます。費用は財産額に応じて数万円から十数万円ほど。安心料としては高くない。

比較しておくと分かりやすい。自筆証書遺言は費用ゼロですぐ書ける反面、保管中の紛失・改ざん・形式不備のリスクがある。公正証書遺言は費用と手間がかかる代わり、原本が公証役場に保管され、無効になりにくく、家庭裁判所の検認も不要。手軽さを取るか、確実さを取るか。会社の株という「絶対に間違えられない財産」が絡むなら、迷わず確実さです。安く済ませた自筆遺言が無効になり、結局もめて弁護士費用が数十万円かかった、という本末転倒のケースを何度も見てきました。

遺留分という「例外」を忘れない

ここはよくある落とし穴です。後継者に全部渡したくても、他の相続人には最低限の取り分(遺留分)がある。無視した遺言は、あとで請求されて結局もめる。「渡す」と「配慮する」をセットで考える。迷ったら、試算してから書くのがおすすめです。

具体的に言うと、遺留分は遺産に対する一定割合の権利で、これを侵害された相続人は「遺留分侵害額請求」というお金の請求ができます。注意したいのは、これが金銭での請求だという点。株を渡したくないのに、遺留分を請求された後継者が、手元の現金で支払えず困る、という事態が起きる。だから設計の段階で、後継者が遺留分を払えるだけの現金や生命保険を準備しておく。これが「配慮する」の中身です。さらに、生前に後継者へ株を生前贈与し、他の相続人には事前に説明と合意を取っておく「除外合意」のような制度を組み合わせる手もある。選択肢は一つではありません。

遺言書をめぐって相談前に多い疑問

Q1. 財産が少なくても遺言書は必要ですか?

必要なケースは多いです。金額より「分けにくい財産があるか」で判断します。会社の株が少しでもあるなら、作る価値は十分あります。

Q2. いつ作るのがいいですか?

元気なうちです。判断能力があるうちにしか作れません。60代で一度作り、状況が変わったら書き直す社長が多い印象です。

Q3. 一度書いたら変えられませんか?

変えられます。新しい遺言が古い遺言に優先します。会社の状況や後継者が変われば、書き直して問題ありません。

Q4. 自分で書いてはいけませんか?

書けます。ただ形式不備のリスクがある。会社の株が絡むなら、公正証書遺言が無難です。

Q5. 家族に内容を知らせるべきですか?

ケースによります。伝えておくと納得感は高まりますが、感情がこじれることも。専門家を交えて伝える方法もあります。

Q6. 税金の対策にもなりますか?

直接の節税ではありません。ただ分け方を決めることで、納税資金の準備や評価の整理につながります。

Q7. 税理士に相談する意味はありますか?

あります。会社の株評価、納税資金、遺留分まで全体を見て設計できるからです。弁護士と連携する場面もあります。

Q8. 後継者がまだ決まっていなくても作れますか?

作れます。むしろ未定だからこそ、暫定の分け方を残す意味がある。後継者が決まった時点で書き直せば十分です。

Q9. 遺言書があれば相続争いは完全に防げますか?

完全ではありません。ただ、争いの大半は「分け方が不明」から起きます。明文化するだけで火種は大きく減ります。

後悔しないために、最後に確認しておきたいこと

  • 遺言書は資産家だけでなく、株を持つ社長にこそ必要
  • 「うちは仲がいい」家族ほど、分け方を決めていないリスクがある
  • 会社の行き先を先に決め、株の集中と遺留分の配慮をセットで設計する
  • 自筆より公正証書。形式不備のリスクを安く防げる
  • 状況が変われば書き直せる。だから「完璧」より「まず書く」が正解

会社の株が少しでもあるなら、遺言書は「いつか」ではなく「元気な今」のテーマです。まだ決めていない社長こそ、一度、現状を整理する時間を取ってください。書く前の整理だけでも、見える景色が変わります。財産の棚卸しと、会社の行き先。この2つを紙に書き出すところから始めてみてください。そこでつまずいたら、それは専門家に相談すべきサインです。

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